また久しぶりにはてなブログ「僕の人生D判定」を書きたくなった。
数えてみたら、2023年2月26日から2024年12月3日まで、即ち僕の二浪目の2次試験2日目終了から昨日まで、646日が経過していた。
日数にしてみると意外と少ないような気がしたが、それでも自分の中では随分浪人時代は遠ざかった感じで、昔の思い出になりつつある。
タイトルにもあるように「浪人して良かったこと」を二つ書こうと思う。
一点目。
一昨日は少し用事があって、お茶の水付近を通りがかった。大学に入ってからも幾度となく訪れたお茶の水、ないしは横浜だが、やはり、いつ訪れても思い出深く、懐かしい。御茶ノ水駅の工事中のホーム、騒がしく行き交う学生や会社員、そして我が駿台予備学校。全てが手に取るように知り尽くした景色だ。
卒業してから何度か予備校には行って、知っている先生やクラス担任の人には挨拶したりしているが、今日は格好がスーツで入りずらいし、何より先月も某先生には会ったので、さすがに毎月行っていたらヤバい奴だと思われかねない(既に十分ヤバい)ので前だけ通ることにする。
すでに時刻は夕方、正に黄昏れ時と言う言葉がぴったりの感じである。余談だが、黄昏れの語源は「誰そ彼」、つまり暗くなって向こうの人の顔が分からなくなったことに由来するとか。これは駿台古文科の重鎮、秋本吉徳先生に習ったなあ、とふと思い出す。
ダラダラと2号館の前、ファミリーマート御茶ノ水とちのき通り店の横の坂を下り、明治大学の裏、錦華公園の方へ歩いていく。ここも浪人時代、幾度となく散歩した所だなあ。息抜きと自分に言い訳して意味も無く歩いたりしていたっけ。公園で一人でカップラーメン食べた時、惨めだったなあ。
公園のベンチに座って一息つくと、ちょうど17時。千代田区のチャイム「夕焼け小焼け」が鳴った時はさすがに懐かしさがピークを迎え、得も言われぬ想いが湧き上がってきた。このチャイム、無性に心に染みる。
本当に浪人生活は思い出深い。1年生の時は浪人のことを思い出さなかった日は1日も無かったと思う。今年に入ってだいぶ記憶から遠ざかっているが、それでも3日に2日はふと思い出している感じだ。それぐらい印象が強い。
さて、浪人の目的は第一志望に受かること、ただ一つである。大学生活は授業、交友関係、遊び、サークル、バイト、就活、その他多くのことにエネルギーを分散させて過ごすのに対し、浪人生活の特徴はその唯一性にある。歯を食いしばり、猪突猛進。わき目もふらず、一心不乱に、エンジン全開。
もちろん、勉強すること、それ自体にももちろん価値があると思う。高々大学受験の勉強とは言え、知を蓄えることは人生を豊かにしてくれる。
しかし、それ以上に、そこで頑張った経験と言うのは何事にも代えがたい経験だ。生物基礎の大森徹師が「夢に向かって、心を燃やして」って形容していたのが好きだ。特に「心を燃やし」って、いい表現だよな、と思う。
浪人生活はもう間違いなく人生が掛かっている。使える時間のほぼすべてを勉強に費やし、「失敗したらもう後が無い」という背水の陣が、ドーパミンを放出させる。大学もつまらない訳ではないけれど、僕を含めて多くの大学生が持っている悩みであろう、どこか無気力で単調なのは、大学の活動は先ほども述べたように分散型であり、そしてそれらには費やすエネルギーも所詮は人生の掛かった浪人生活に比べたら、微々たるものだ。
この悩み、高校の同級生(浪人経験者)に打ち明けたら、「大学がつまらないんじゃなくて、浪人が充実し過ぎているだけだと思う」と言っていたがなるほどな、と思った。
しかし、浪人すればいいというものではない。大事なのは「浪人すること」ではなく「浪人して頑張ること」である。プライドだけが肥大してとりあえず浪人、努力しないのは違う。だが現実には、プライドだけが残って努力しない受験生も少なくない。
予備校で同じクラスにいた某有名私立中高一貫の女、大嫌いだったな。いつも授業には遅刻してきて、授業中携帯いじって先生に怒られてて、でも自分は東大受かります!みたいな感じで。髪染めててデカいヘッドホン付けてて、何のために予備校来てるんだ。結局どこの大学行ったか知らないけど、きっと良い芽は出てないだろうなあ、と思う。
逆に、成績はまるでダメでも一生懸命やってた女の子も居た。黒髪でメガネかけた真面目そうな子。授業も必ず一番前で聞いていたし、いつも閉館まで自習室残っていた。在籍中に何回か喋ってくれたこともあって、結局東大はダメだったみたいだけど、どこ行ったんだろう。どこかで頑張ってて欲しいなあ、と思う。
夢に向かって頑張ったこと、努力したことは決して忘れられない思い出になるし、自分の糧になる。結果や出世や地位や名声も大事だが、「頑張った経験」と言うのも大事である。今は「頑張らなくてもいい」とか、「努力するのは時代遅れ」とか、そういう風潮もあるが、そんなのはウソである。彼らは努力したことがないからそういうことが言えるのであり、頑張った人しか見えない景色がある。
頑張れ。なにくそ、負けるものか。
そして何より、僕が一浪していた時、「なんだかんだ、辛い時の方が思い出深い」と声をかけてくれた人がいるが、今になってその通りであると思う。
それから二点目。
今度は結論から先に言ってしまおう。それは「少し大人になってから大学に入る」ことが出来るというということだ。
18、19、20歳の頃の人間は、身体はすでに成熟していて、見かけの成長はほぼ無い。(僕もやや童顔なので、自分から言わない限り二浪がばれたことはない。まあ大体は話の時間軸に矛盾が生じてばれるのだが…)
しかし、この時期はまだまだ内面、精神は成熟しており、それは単純に語彙力や知識力と言ったことから自己の分析力、色々な社会的経験、成功体験や失敗体験など、様々なことに於いて、僅か1、2歳差であれど、明らかに浪人生の方が「大人」である。これに関しては大学の教員をしている僕の父も学生を見ているとそう感じると言っていた。僕も大学に入った時、案外幼い奴も多いんだな、と思った記憶がある。
さて、ではこれのメリットは何だろうか。一つは単純に同級生からそれなりに敬ってもらえるということである。同級生でも君付けで呼んでくれたり、授業やそのほかの場面で何かしらと頼りにされたりするのは悪い気はしない。
まあこれは個々人の性格に依る所もあると思うので、もう一つ。それはやはり、精神的に成熟している分、豊かな大学生活を送れている、ということだ。
そもそも何のために大学に行きたいのか。大学に行けるとはどれほどありがたいことなのか。そういうことを浪人時代に意識させられる。右も左も分からず、とりあえず流されるまま大学に入るより、自分で主体的に進路を意識した方が良いに決まっている。1年ぐらい、敢えて人生のレールを外れて、傍観するのは何も悪いことでは無い。
また、大学生の中には「なんとなく過ごしていたら4年間が終わってしまった」と言う悩み、後悔を持つ人も少なくないという。僕はそうなるのが絶対に嫌で、もうめちゃくちゃに充実しまくった4年間にしてやろうと心に誓っていた。(もちろんこの考えに至ったのも浪人期間中である)
そういう訳で、普通の大学生よりも精力的に活動出来ている自信がある。やりたい事、興味のあることは多少無理してでも、お金がすっからかんになろうと、挑戦してきているつもりだ。
自分には合わないこと、興味のないことにも敢えて挑戦したりした。中にはどうしても耐えられなくて逃げ出したこと(例:新入生歓迎委員。これはどう考えても僕のキャラじゃなかったわ。結局途中で辞めたので迷惑かけて申し訳ない。あと恋人。これも僕には合わなかったので2カ月で別れて正解だ。女は嫌いだよ。)も幾つかはあるが、後悔はしていない。「自分には合わない」っていうのも失敗、回り道をしたからこそ知ることが出来たと思うからだ。
そういう訳で、もちろん僕自身、ダラダラと時間を無駄にしてしまったり、何のために大学に行ってるか迷走したり、モヤモヤすることもあれど、人より充実した大学生活を送っていると自信を持って言える。2024年ももう終わるが、一人で海外旅行行ったり、免許取ってドライブしたり、久しぶりに山登りしたり、交友関係にも恵まれて、いい1年に出来たなあと思う。
良き大学生活ではあるが、それでもなお、やっぱり浪人時代だ。一人になればいつも思い出すあの日々。変な人間関係のトラブルや他人の目を気にしたりすることも無く、自分だけの世界が流れていた。辛かったけれど、浪人生活が一番楽しかった。
また予備校通って面白くて真剣なあの授業受けて、自習室缶詰めになって、進路で悩んで、先生に質問行って一蹴されて、過去問全然出来なくて落ち込んで、模試の帰りの爽快感味わって、本番までの日数数えてパニックになって…っていう日々を送りたくなってくる。
いよいよ本格的に受験シーズンか。ひょっとしたら浪人生も一人ぐらいは読んでくれているかもしれないので、最後に一言。
勘違いしないで欲しいが、浪人の目的は第一志望合格、それに他ならない。本番までもう少ししかない。
でもそこから副次的に得られる、今日述べた二つのこと、「頑張った経験」と、「大人になって大学に入る」というのは、きっと有名大学のブランドとは違う、君個人の魅力に繋がっていくはずだ。
最後に駿台英語科大島先生のはなむけの言葉を書いて終わろう。
「漕ぎ出そう いつかこの日が 懐かしくなる」
また会おう。