僕の人生D判定

浪人時代2年間のブログ

浪人して良かったこと

また久しぶりにはてなブログ「僕の人生D判定」を書きたくなった。

数えてみたら、2023年2月26日から2024年12月3日まで、即ち僕の二浪目の2次試験2日目終了から昨日まで、646日が経過していた。

日数にしてみると意外と少ないような気がしたが、それでも自分の中では随分浪人時代は遠ざかった感じで、昔の思い出になりつつある。

タイトルにもあるように「浪人して良かったこと」を二つ書こうと思う。

 

一点目。

一昨日は少し用事があって、お茶の水付近を通りがかった。大学に入ってからも幾度となく訪れたお茶の水、ないしは横浜だが、やはり、いつ訪れても思い出深く、懐かしい。御茶ノ水駅の工事中のホーム、騒がしく行き交う学生や会社員、そして我が駿台予備学校。全てが手に取るように知り尽くした景色だ。

卒業してから何度か予備校には行って、知っている先生やクラス担任の人には挨拶したりしているが、今日は格好がスーツで入りずらいし、何より先月も某先生には会ったので、さすがに毎月行っていたらヤバい奴だと思われかねない(既に十分ヤバい)ので前だけ通ることにする。

すでに時刻は夕方、正に黄昏れ時と言う言葉がぴったりの感じである。余談だが、黄昏れの語源は「誰そ彼」、つまり暗くなって向こうの人の顔が分からなくなったことに由来するとか。これは駿台古文科の重鎮、秋本吉徳先生に習ったなあ、とふと思い出す。

ダラダラと2号館の前、ファミリーマート御茶ノ水とちのき通り店の横の坂を下り、明治大学の裏、錦華公園の方へ歩いていく。ここも浪人時代、幾度となく散歩した所だなあ。息抜きと自分に言い訳して意味も無く歩いたりしていたっけ。公園で一人でカップラーメン食べた時、惨めだったなあ。

公園のベンチに座って一息つくと、ちょうど17時。千代田区のチャイム「夕焼け小焼け」が鳴った時はさすがに懐かしさがピークを迎え、得も言われぬ想いが湧き上がってきた。このチャイム、無性に心に染みる。

 

本当に浪人生活は思い出深い。1年生の時は浪人のことを思い出さなかった日は1日も無かったと思う。今年に入ってだいぶ記憶から遠ざかっているが、それでも3日に2日はふと思い出している感じだ。それぐらい印象が強い。

 

さて、浪人の目的は第一志望に受かること、ただ一つである。大学生活は授業、交友関係、遊び、サークル、バイト、就活、その他多くのことにエネルギーを分散させて過ごすのに対し、浪人生活の特徴はその唯一性にある。歯を食いしばり、猪突猛進。わき目もふらず、一心不乱に、エンジン全開。

もちろん、勉強すること、それ自体にももちろん価値があると思う。高々大学受験の勉強とは言え、知を蓄えることは人生を豊かにしてくれる。

しかし、それ以上に、そこで頑張った経験と言うのは何事にも代えがたい経験だ。生物基礎の大森徹師が「夢に向かって、心を燃やして」って形容していたのが好きだ。特に「心を燃やし」って、いい表現だよな、と思う。

浪人生活はもう間違いなく人生が掛かっている。使える時間のほぼすべてを勉強に費やし、「失敗したらもう後が無い」という背水の陣が、ドーパミンを放出させる。大学もつまらない訳ではないけれど、僕を含めて多くの大学生が持っている悩みであろう、どこか無気力で単調なのは、大学の活動は先ほども述べたように分散型であり、そしてそれらには費やすエネルギーも所詮は人生の掛かった浪人生活に比べたら、微々たるものだ。

この悩み、高校の同級生(浪人経験者)に打ち明けたら、「大学がつまらないんじゃなくて、浪人が充実し過ぎているだけだと思う」と言っていたがなるほどな、と思った。

 

しかし、浪人すればいいというものではない。大事なのは「浪人すること」ではなく「浪人して頑張ること」である。プライドだけが肥大してとりあえず浪人、努力しないのは違う。だが現実には、プライドだけが残って努力しない受験生も少なくない。

予備校で同じクラスにいた某有名私立中高一貫の女、大嫌いだったな。いつも授業には遅刻してきて、授業中携帯いじって先生に怒られてて、でも自分は東大受かります!みたいな感じで。髪染めててデカいヘッドホン付けてて、何のために予備校来てるんだ。結局どこの大学行ったか知らないけど、きっと良い芽は出てないだろうなあ、と思う。

逆に、成績はまるでダメでも一生懸命やってた女の子も居た。黒髪でメガネかけた真面目そうな子。授業も必ず一番前で聞いていたし、いつも閉館まで自習室残っていた。在籍中に何回か喋ってくれたこともあって、結局東大はダメだったみたいだけど、どこ行ったんだろう。どこかで頑張ってて欲しいなあ、と思う。

夢に向かって頑張ったこと、努力したことは決して忘れられない思い出になるし、自分の糧になる。結果や出世や地位や名声も大事だが、「頑張った経験」と言うのも大事である。今は「頑張らなくてもいい」とか、「努力するのは時代遅れ」とか、そういう風潮もあるが、そんなのはウソである。彼らは努力したことがないからそういうことが言えるのであり、頑張った人しか見えない景色がある。

頑張れ。なにくそ、負けるものか。

そして何より、僕が一浪していた時、「なんだかんだ、辛い時の方が思い出深い」と声をかけてくれた人がいるが、今になってその通りであると思う。

 

 

それから二点目。

今度は結論から先に言ってしまおう。それは「少し大人になってから大学に入る」ことが出来るというということだ。

18、19、20歳の頃の人間は、身体はすでに成熟していて、見かけの成長はほぼ無い。(僕もやや童顔なので、自分から言わない限り二浪がばれたことはない。まあ大体は話の時間軸に矛盾が生じてばれるのだが…)

しかし、この時期はまだまだ内面、精神は成熟しており、それは単純に語彙力や知識力と言ったことから自己の分析力、色々な社会的経験、成功体験や失敗体験など、様々なことに於いて、僅か1、2歳差であれど、明らかに浪人生の方が「大人」である。これに関しては大学の教員をしている僕の父も学生を見ているとそう感じると言っていた。僕も大学に入った時、案外幼い奴も多いんだな、と思った記憶がある。

さて、ではこれのメリットは何だろうか。一つは単純に同級生からそれなりに敬ってもらえるということである。同級生でも君付けで呼んでくれたり、授業やそのほかの場面で何かしらと頼りにされたりするのは悪い気はしない。

まあこれは個々人の性格に依る所もあると思うので、もう一つ。それはやはり、精神的に成熟している分、豊かな大学生活を送れている、ということだ。

そもそも何のために大学に行きたいのか。大学に行けるとはどれほどありがたいことなのか。そういうことを浪人時代に意識させられる。右も左も分からず、とりあえず流されるまま大学に入るより、自分で主体的に進路を意識した方が良いに決まっている。1年ぐらい、敢えて人生のレールを外れて、傍観するのは何も悪いことでは無い。

また、大学生の中には「なんとなく過ごしていたら4年間が終わってしまった」と言う悩み、後悔を持つ人も少なくないという。僕はそうなるのが絶対に嫌で、もうめちゃくちゃに充実しまくった4年間にしてやろうと心に誓っていた。(もちろんこの考えに至ったのも浪人期間中である)

そういう訳で、普通の大学生よりも精力的に活動出来ている自信がある。やりたい事、興味のあることは多少無理してでも、お金がすっからかんになろうと、挑戦してきているつもりだ。

自分には合わないこと、興味のないことにも敢えて挑戦したりした。中にはどうしても耐えられなくて逃げ出したこと(例:新入生歓迎委員。これはどう考えても僕のキャラじゃなかったわ。結局途中で辞めたので迷惑かけて申し訳ない。あと恋人。これも僕には合わなかったので2カ月で別れて正解だ。女は嫌いだよ。)も幾つかはあるが、後悔はしていない。「自分には合わない」っていうのも失敗、回り道をしたからこそ知ることが出来たと思うからだ。

そういう訳で、もちろん僕自身、ダラダラと時間を無駄にしてしまったり、何のために大学に行ってるか迷走したり、モヤモヤすることもあれど、人より充実した大学生活を送っていると自信を持って言える。2024年ももう終わるが、一人で海外旅行行ったり、免許取ってドライブしたり、久しぶりに山登りしたり、交友関係にも恵まれて、いい1年に出来たなあと思う。

 

良き大学生活ではあるが、それでもなお、やっぱり浪人時代だ。一人になればいつも思い出すあの日々。変な人間関係のトラブルや他人の目を気にしたりすることも無く、自分だけの世界が流れていた。辛かったけれど、浪人生活が一番楽しかった。

また予備校通って面白くて真剣なあの授業受けて、自習室缶詰めになって、進路で悩んで、先生に質問行って一蹴されて、過去問全然出来なくて落ち込んで、模試の帰りの爽快感味わって、本番までの日数数えてパニックになって…っていう日々を送りたくなってくる。

 

いよいよ本格的に受験シーズンか。ひょっとしたら浪人生も一人ぐらいは読んでくれているかもしれないので、最後に一言。

勘違いしないで欲しいが、浪人の目的は第一志望合格、それに他ならない。本番までもう少ししかない。

でもそこから副次的に得られる、今日述べた二つのこと、「頑張った経験」と、「大人になって大学に入る」というのは、きっと有名大学のブランドとは違う、君個人の魅力に繋がっていくはずだ。

最後に駿台英語科大島先生のはなむけの言葉を書いて終わろう。

「漕ぎ出そう いつかこの日が 懐かしくなる」

 

また会おう。

 

 

 

浪人時代が、一番楽しかった。

どれぐらい需要があるか分からないが、久しぶりにブログを書く。

はてなブログの編集ページを10か月ぶりに開いた途端、懐かしさがこみ上げてきた。

 

一応初めに簡単に自己紹介。

2021年の3月(高3時。出身は至って普通の自称進学校である。)に東大に落ち、一浪目を駿台横浜校で過ごす。成績はまるで足りなかったが、高校時代の怠惰な生活を改め、コツコツ予備校に通い、それなりに成績を伸ばすも、秋以降ペースが乱れ、結局一浪時は学習院にしか受からない。

散々進路に迷ったが、最初は学習院で2浪目を仮面浪人で挑む。しかし6月ぐらいから大学、受験勉強その他何もかもが嫌になり、実家で引きこもりになる。このままでは人生が崩壊すると思い、秋から再び予備校に通うことを決意。一浪時の反省点によく注意しながら、駿台お茶の水に通う。しかし、二浪しても自分の能力では東大には受からないことを悟り、諦めがつく。10月ごろに志望校を一橋の社会学部に切り替え、なんとか、2023年の3月10日、合格最低点スレスレで合格し、今は一橋の1年生である。

 

 

さて、今日は2月26日。国立大学前期日程の2次試験の2日目の日である。今日を以って長い受験受験勉強から解放された人も多いのでは無いだろうか。

1年前のこの日、今の僕にとっては何も特筆すべきことは無い一橋大学の東2号館で、英語と地理の受験を終え、7割の確率で不合格を確信してよろよろと家路に就いた。暗く曇った、うす寒い感じの日だったと思う。

そして、あの日から本当に1年も経ったのかと思うと、時間の流れは本当に速い。大学に入ってから、時間の流れが急速に速くなったと思うが、それだけ大学生活は充実しているということだろうか。

この1年間、大学に入って僕の生活には光が差し込んだ。あらゆることに対して閉鎖的、否定的、懐疑的であり、常に受験勉強のことだけを考えていた鉛色の生活と比べると、大学はまさしく革命的な感じであった。

色々な人に恵まれ、クラスの友人、部活の同期や先輩など、楽しい仲間がたくさん出来た。浪人時代は人づきあいがほぼゼロだったので、始めは上手く言葉を話すのも苦労したが、そのうち何の問題もなく打ち解けることができて、あれ、自分はこんなにも人間関係をうまくやれるのかと驚いたほどだ。

大学以外でも、趣味の旅行に行き、青春18きっぷで1000㎞も移動したり、自動車教習所に行き、マニュアルミッションにどきどきしたり、色々本を読んで意識高い系を気取ったり、その他、やりたい事をたくさん出来た。最近には、ついに素敵な彼女も出来た。

 

それでも、自分はこの1年間で、浪人生活の日々を思い出さなかった日はただの1日すら無かったと言える。

カレンダーの日付を見るたびに、「ああ、1年前、2年前の今頃はこんな感じだっただろうか…」と思い出していたし、自宅の机の上には今も愛用の駿台テキストがあるし、授業のノートもプリントも全部保存してある。自作の講師の名言集とかもちゃんと置いてあるし、著者の講師のサイン入りの参考書も持っている。

お茶の水や横浜に行って当時のように付近を散歩してみたり、同じ時刻に同じ様に帰路を再現してみたりしたことも幾度とある。大学に一緒に行っている洋服も、靴も、リュックサックも、筆記用具も、ファイルも、全て僕と一緒に浪人時代を乗り越えてきた仲間である。

何より、今日も意味も無く横浜に出かけ、駿台横浜校に行ってみたりした。今日はなかなか暖かく、気持ちの良い日差しが差し込み、春の訪れを感じさせた。

こうしてまた新しい学年が始まるのだ、ということを思うと同時に、浪人時代は、「受験まであと〇日」という締め切りから来ることなのか、はたまた、単に神経が敏感になっていたからなのか、やたら季節の移ろいを感じていた。日没時刻や気温の変化がやたら気になって仕方なかった。平安貴族はこれで和歌を詠んだりしたのだろうか、そういえば久しく古文と言うものにも触れていないな…など、考えればきりがない。

 

思えば、本当に予備校生活は充実していた。

浪人時代に得たことは本当に色々ある。それはもちろん純粋な受験のこと、例えば西岸海洋性気候区のうちアイスランド南部などに現れるCfcは小麦の栽培は不可だとか、連鎖関係代名詞節と二重限定は似て非なる用法だとか、円と直線が接する条件は実数解の重解条件よりも点と直線の距離の公式を使う方が定石だとか、そういう勉強のこともある。

「大学受験の勉強は暗記だけで何も意味をなさない」と言う人もいるが、僕はそうは思わない。僕が予備校で習った勉強はまさしく本物の学問で、駿台予備学校はどの科目、どの講師も小手先のテクニックや暗記に頼らない、本質の勉強を教えてくれる学校だった。今も僕の知を豊かにしてくれていると確信がある。たかが大学受験程度の学問でも、突き詰めればそれなりに得るものはあるはずだ。

特に、自分は一浪した時には学習院大学にしか受からなかったが、それでも受験勉強で学んだことにそれなりの自信はあった。志望校には受からなくとも、間違いなく成績が上がった、という確証はあったし、浪人生活のやり方を悔いたことは有っても、浪人そのものを悔いたことは無かった。

そういう自信があったので、二浪する気持ちも芽生えたのかなと思っている。受かったのは二浪目だけど、一浪時の貯金がなかったら、受かっていなかっただろうし。

 

それから勉強法も色々気づかされることが多かった。

予備校に入って、プロの授業を聞いて感動すると同時に、自分の勉強法は随分と誤っていたなあということを痛感した。巷には所詮、素人の書いた勉強法が大量に転がっているが(まあ、このブログもそうである。)、その多くがウソか間違ってるか、或いは偏った情報である。青チャートや4STEP、何周すれば東大受かりますか?とか、よく陥る罠である。

この辺りは僕としては言い出すときりがないので、この辺にしておくが、まあ強いて一つ言うのなら、独学はやめた方がいいと強く思う。

独学で受かるのはよっぽど自頭のいい天才か、それかその程度の大学かのいずれかである。自分を律して、勉強するのはなかなか難しい。なんだかんだで、ちゃんと先生の言うことを聞いて、ちゃんと予習復習してという、正攻法が一番近道である、というのが僕の意見だし、浪人した人は特にこれに同意してくれる人が多いと信じている。

まあ、この辺りも実際に経験してみて初めて発見できることだと思うので、なかなか難しいと思うが。

ちょっといい記事があったので折角なのでここで紹介しよう。余談だが、この職員さんのうち、女性の人が僕の二浪時のクラス担任だった人である。

駿台予備学校・東大コースのクラス担任が教える東大合格者の勝ちパターン | リセマム

 

話がだいぶ逸れてしまったが、自分は幸運にも「頑張らなくて、その結果、当然不合格(現役時)」「頑張ってみたけど、不合格(一浪時)」「頑張った結果、合格(二浪時)」という、受験生が経験するであろうすべてのパターンを経験することが出来た。

その他、受験生が陥るであろう苦悩や失敗(例えばA判定で落ちるとか、本番焦って大ミスするとか、この辺も挙げればキリがない)も一通り体験して、それから抜け出す経験もたくさん出来た。

 

前も書いたと思うが、頑張っても不合格になること、報われないことはいくらでも有り得ると言うのが、僕の意見だ。「頑張ったら必ず報われる」という人は失敗した体験がないから、そういう無責任なことを言えるのである。

「過去問?やらなくていいよ」「余裕で受かるっしょww」そういうアドバイスをしている大学生バイトや先生もいるが、それで、もし生徒が落ちたら、責任を取れるのか??

甘い言葉には流されない方がいい。

だからと言って、「頑張らなくていい」、「努力することは無駄」、ということは一切ないと思う。最近は楽に生きるとか、手抜きも流行っているようだが、やはり僕は頑張るということには、それなりの意義があると思う。(もちろん、間違った方向に努力するのは意味ないが。)

何より、不合格の経験、挫折の経験は、その人にしか感じられない。頑張ったのに落ちてしまった人、特に数点差で落ちた人など、本当に居たたまれない気持ちだが、それもまた貴重な経験だと思う。涙ながらに這い上がるしかない。

 

とは言え、僕がこんな偉そうなことを言えているのは、それはお前が合格したからだ、と言われれば、それはそれで事実だと思う。

正直、今年の一橋合格も五分五分といった感じだった。二浪時は「今年は結果にこだわらない。悔いなく終わろう。」をモットーに勉強していたが、実際は落ちていたら別の大学に行き、そこで素晴らしい生活があったかもしれないし、ショックで引きこもりになっていたかもしれない。

或いは結局三浪して東大行けてたかもしれないし、三浪して発狂して人殺してたかもしれない。これら全部、十分にあり得たと思う。

しかし、どれが正解でどれが間違っているか、そんなことは分からない。現実の人生は、たった一通りの選択肢しか選べないのだから、正解を選ぶよりも、選んだことを正解にするよう、努力するほかない。

 

一橋大学ともなれば、学生の中には「〇〇大以下はゴミ」「学歴が全て」といった発言をする人も少なくない。僕自身もこう思っていた時期はあるが、今は全然そんなことは思わなくなったし、学歴とかもどうでもよいとも思えるようになった。

確かに日本はそれなりの学歴社会であるのは事実だが、大学入学はあくまで通過点である。受験生時代は東大至上主義でも、私立文系煽りしまくるのも全然ありだと思うし、むしろそれぐらいのモチベーションがあった方がいい。しかし、それをいつまでもやり続けているのはあまりにもカッコ悪い。

駿台の某師の終講の言葉を借りるなら「東大に受かった日が人生で一番輝いていた…なんてことが絶対にないようにね。成長し続けてね。」といったところだろうか。

 

ここまで読むと、なんだかまるで浪人時代が素晴らしく楽しかったような書きぶりだが、一般に、思い出というのは美化されるものである。

よくよく振り返れば、浪人生活は常に苦しかった。毎日予備校に行くのは苦痛でしかなかったし、モチベーションもまるで続かなかった。常にやりたくない気持ちがあった。実際、成績も決して良くはなく、授業中、先生に当てられても、まるで見当違いなことを答えてしまったり、授業の予習をするも、全く分からなくて白紙のノートで授業に参加したこともあった。

模試もまるで全然できず、クラスの成績優秀者の結果が張り出されるたびに、大きな隔たりを感じたし、講師に質問に行ったらレベルが低すぎて呆れられたこともあった。

会話もクラスの人と二言三言進捗状況を交換し合う程度で、プライベートや趣味の話をしたのは皆無だったと思う。本当に常につらかった。

授業のない日も、家ではだらけて1秒も勉強しない日なんてのもザラにあったので、仕方なく自習室に向かうも、自習室には2時間籠ったらもう集中力が切れて、意味も無く外に出て校舎の周りを2周してみたりした。横浜もお茶の水も、あの辺り、通ったことのない道は無いぐらい、息抜きで散歩という名のサボりをしていた。100円で安くコーヒーを売ってる自販機までわざわざ出かけて買って眠気覚ましに飲むも、結局自習室で寝落ちしたりしていた。

自分は本当に受験勉強には向いていないと心から思う、今でも。

それでも閉館時刻まで自習室に残り、夜風に当たりながら帰路に就くのは堪えられない心地よさと達成感があり、予備校から出た時の空気はたまらなく美味かった。出来なかったものが出来るようになった時の嬉しさも大きく、殊に模試の成績が良かった時など、本当に薬物的な達成感があった。

自分は苦手なことにも泥臭く、めげずに立ち向かい、多少カッコ悪くて不器用で恥ずかしくても、頑張ろうと思える気持ちだけはなんとか失わなかった。心折れそうになったことは何度もあるが、完全にはあきらめなかった。

二浪時の最後の方は、もうここまで頑張ったし、やれることは全部やったから、これで落ちたら仕方ない、運が悪かったのだ、と思える心境だった。僕にとっては、その境地に至れたのが、一橋大学という学歴よりもずっと誇りである。

 

15歳の高校1年生の4月から始まる10年間は、間違いなく、人生で一番楽しい10年間である。それを受験勉強だけで潰すのはもったいないと思うので、出来るだけ浪人、特に多浪はしない方がいい。

浪人自体は褒められたものでもなんでもなく、むしろ恥ずべきことである。現役で第一志望の大学に受かるなら、それに越したことは無い。しかし、もしそれが叶わず、浪人することになってしまった時、その1年を努力次第で、結果として、良いものに変えようとする姿勢は最高だ。

思えば、僕の青春は浪人生活にあった。予備校で得たものは、他では絶対に得られない、全てがかけがえのない思い出であり、19歳、20歳を浪人生として過ごしたことに何の悔いもない。

 

また、今年も新たな浪人生が誕生する時期か。そろそろ予備校の説明会も盛況を博して来た頃だろう。

大学全入時代の今日、推薦で進路を決める、或いは、一般受験でも現役進学が当たり前になる中、敢えて再挑戦を選んだ彼ら彼女らに、僕は心からエールを送りたい。駿台現代文科平井隆洋師の言葉を借りるなら、「君たちは『上』を見ることが出来る、魅力あふれる人間だ。」と。

 

最後に一言。

やはり、浪人時代が一番充実していて、思い出深くて、スリルに満ちていて、苦しくて、辛くて、孤独で、そして、一番楽しかった。

2023一橋 科目別入試成績

やっと入手した…

5月2日に情報開示請求書と保険証のコピーと300円を持って大学の事務室に行く→1ヶ月後に家に許可証が届く→記入して開示請求→3日後に受け取りとか言う、非常に手間のかかることをされた。もう今さら点数なぞどうでもいい気もしたが、僕は気持ちの悪い受験マスターを自認してるので、最後まで成績を開示する義務があると思う(は?)。

 

国語 108/180(60%)

目標通り、6割に乗れた。

 

数学 58.5/130(45%)

概ね予想通り。

 

外国語 156.154/280(55.76%)

ひどすぎwww

長文と英作文とリスニングの配点が分からないのでなんとも言えないが、一橋の英語の授業を見ている感じ、英作文はかなり厳しく採点していると思う。つまり、単に文法的な正しさだけではなく、口語的すぎないか、場面にあった適当な表現なのか、同じ表現を繰り返しすぎていないか、論理的に説明が付くか、などである。

 

地理 110.4/230(48%)

地理は正直ベストの答案は書けなかった。過去問ではもっといいものが書けたことも多かった。

でも一橋の地歴はめちゃめちゃマニアックで難しいので、基本的に5割取れれば十分らしい。

 

 

2次合計で820点中、433.054点

共通テストが180点中、141.6点(アッー!)

…つまり1000点満点中、574.654点

 

合格最低点が574点

僕の開示の得点が575点(前回の記事参照)

なので、小数点以下は四捨五入だと思われる。

 

まあ全部概ね自己採点通りであり、得点の仕方もそんなに特徴なくて、面白みに欠けるといえば欠ける。

いや、改めてこれを見て、こんな成績でよく受かったなあと思ったが、受験生時代には「一橋は10回受けたら6回ぐらいは受かる」と言うぐらいの手応えはあったし、「それで落ちたら仕方ない、としか言えない」とも思っていた。今回はたまたま二浪した苦労を、神様が見ていてくれたのだろうか、なんて思ったりする。

一橋の2次試験は国立大学の中でもかなり難しいけれど、その分合格最低点はそこまで高くないし、また、時間にも比較的余裕はあるので、じっくり考えるのが好きな人には向いているような気がする。

 

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2023一橋大学入試成績開示

5月になり、やっと入試の成績が開示された。(2ヶ月もかかるとか、どんだけ一橋の事務室は人手不足なんだろうか)

 

まずは共通テストによる足切りについて。

社会学部第一段階合格最低点:638

受験者の点数:750

まあこれは良い。

 

次に、共通テストと2次試験の合計点。(1000点満点である。)

合格最低点:574

受験者の点数:575

 

ガチ底辺wwww滑り込み合格wwww

1000点満点中、あと2点下だったら普通に不合格三浪引きこもりニートこどおじコースだったwwww

共通テスト理科であと1箇所分からなかったり、国語の要約の最後の文末表記に神経を使わなかったり、数学で休み時間に駿台のテキストを眺めていなかったり、リスニングでちょっと気の迷いが起こったりしてたら、普通に落ちてたと思うと怖すぎる。神様仏様採点官様ありがとうございます。

 

科目別の得点が分からないので、なんとも言えないが、自己採点の精度は荒くはないという自信はある。(なんでも300円払うと科目別得点も開示されるらしいので、課金してみようかなと思ってる。6月ぐらいになるらしいが。)

 

周りの出来について。

一橋の国語はみんなそんなに力入れてない。従って、やれば意外と差をつけられるのではってのが僕の持論。

数学はなんだかんだ言って、難易度は平年並みという声が多い。完答できなくても、部分点を狙う姿勢の人も多いので、あまり怖気付くことはないと思う。経済学部や商学部でも1完の人もいた。

英語は長文が難しかったという声が多い。何書いてあるのか分からなかったけれど、問題はなんとか埋めたという人が多い。ただ、リスニングは簡単だったという意見で一致。今年受かった人はみんなリスニングが満点に近い点数だった。(ちなみに再来年から一橋はリスニングをやめるらしいが)

地理は受験者がいなさすぎて情報なしwww世界史はみんな現代モザンビーク史、ジンバブエ史にやられたと言っていたが。

 

さて、ほとんどの受験生は、試験中に「しまった!こんなはずじゃなかった」とか「あれ、過去問の時は出来てたのに…」と思う瞬間があると思う。これは極めて正常な現象なので、問題はそこでどう切り替えせるかである。実際、僕自身も、「ああ…これまで本当に頑張ってきたけれど、やっぱり自分にはダメかもしれない…」と数学と英語で1回ずつ、試験途中で思った瞬間があったが、それをなんとか跳ねのけることができた。「入試本番でやっと受験勉強の折り返し地点」って言ってる人がいたけれど、あながち嘘ではないなと思った。

 

一方で不合格の人、殊に数点差で落ちてしまった人がいると思うと本当に気の毒で居た堪れないような気持ちになる。本当なら頑張った人は全員合格できるようであってほしい。僕みたいな人間が受かって、もっと優秀な人が落ちてしまったと思うと、本気で代わってあげるべきなんじゃないかという気もする。

 

6月に科目別の開示を入手できたらまたブログ書くつもり。

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さいごに

長々となってしまったが、これで終わりにする。最後までグズグズして申し訳ない。

一応、一ツ橋の成績開示はこの場で晒そうと思ってる(5月ぐらいに来るらしい)。

 

 

このブログは「僕の人生D判定」と名付けられた。2021年の6月のことである。

D判定というのは合格可能性20〜40%、不合格可能性60〜80%のことであるが、実際、自分は18歳ぐらいのときは脳内の7割以上は不安や悩みで占められていた。高校生の僕は毎日それに苦悩した記憶がある。あらゆるものに対して懐疑的であり、自分の存在価値すら疑わしかった。

それから早くも2年が経過して、僕も少しは大人になった。自分が何者であり、何者になりたいのか、少しずつ分かってきたような気がする。

この2年間で、良くも悪くも普通の人は経験できないことをいろいろ経験できた。これは自分にとっての大きな宝物である。ともかく、「自分に」向き合い続けた2年間であった。(よく予備校の帰り道で自分と会話していた。)

永遠に続くかと思われたあの浪人生活の日々をときどき思い出しながら、大学でも頑張っていきたい。

2023年度共通テスト成績開示

今年もこの季節がやってきました…無事これで最終回ですが…

地理B 88/100

普通に難しい。まあ88点なら満足。

 

世界史B 91/100

ガチで10月以降、合計で7時間ぐらいしか勉強してない。去年の貯金のおかげ。

 

国語 173/200

現代文 88/100

古文 35/50

漢文 50/50

受けたときは時間配分ミスって本当に5割かと思った。現代文はここ3年では一番難しかった記憶。古文は第一問の語句問題全ミス。漢文神の降臨。

 

リーディング 87/100

覚えていない。

 

リスニング86/100

しくじった。なんかぼんやりしてたのかも。

 

理科①74/100

生物基礎 31/50

地学基礎 43/50

諸悪の根源はコイツら。生物は試験中涙目だった。地学は僕の勉強不足な気がする。

 

数学IA 72/100 

普通にゴミな点数。ただ、バスケの問題とか普通に難しいんだよな。場合の数でミスして10点ぐらい落としたのが痛い。

 

数学IIB 79/100

僥倖。

 

合計 750/900

 

共通テストリサーチは河合D、駿台E判定だったので受かって良かった。まあ理科74点でも一橋社学受かったと言うことで受験生の励みになればと思う。(ただしこのスタイルは危険なので推奨はしない。優秀な人は、ふつう、共テも優秀である。)

あと、普通に共通テストは難しい。センター時代や共テ初年度の問題に関しては満点以外人間ではなかったが、今のものは出来なくてもある程度は仕方ない。ただ、いくら読解力や思考力を問う問題だとは言え、まずは正攻法の勉強をするべきだと思う。あまりラクなこと、小手先のテクニックばかり考えるのはよろしくない。


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3年間の点数の画像を貼ってみた。一年間で合計点200点以上あげる人も居るし、一方で現役時より下がる人も居るが、あくまで一例として。

受験総括その2

受験勉強終了の気の緩みと季節の変わり目からか、3月の後半に僕は風邪を引き1週間寝込んだ。既に4月だが、まだ大学の準備は終わってない。だが人気ブロガー()の名に恥じぬ様、先にブログ更新を進めたい。

 

◯浪人は無駄なのか

浪人の成功率は諸説あるが、一般的には3割と言われている。確かに人より1年間も真面目に勉強した割に、7割の人が失敗するというのは、あまりやらない方が良いことだ、と言うのは一理あると思う。

ただ、他方、ちゃんと勉強すれば成績を上げることは十分可能だと思う。成績が上がるからといって合格を保証するわけではないが、少なくとも予備校に行けば、授業、生徒、自習室、その他学習環境としては最高級だと思う。「浪人は伸びないから無駄でしょ」みたいにいってくる人がいるのも事実だが、努力次第では成功率をもっと上げることは十分可能。

ただ、そもそも予備校の授業をサボったり、1限に寝坊してくるような人は、なかなか厳しいと思うので、その辺の強い意志と自己管理は前提ではあるが。

 

○受験は結果がすべてなのか

受験勉強に限らず、努力と過程はどちらが大事かという論争は多い。

特に浪人する場合、その一年間は志望校合格のためにあるのだから、仮にも不合格だった場合はその1年間を全否定されたような気がする。実際、「第一志望に受からなければその努力は全て無駄!」という人も多い(T緑会とかですかね)が…僕は全くそんなことないと思う。

僕の場合、今年の一橋や早慶合格も結構運に助けられた部分もあるし、過去問の感触等から、落ちてた可能性も十分あったと思うが、もし仮に今年落ちたとしても、僕のすべてが間違ってた、とは微塵も思わない。逆もまた然り。今年合格したからって僕の勉強法も計画も全部が正しかった!なんてことはないのである。

残念ながら頑張っても不合格になる人は絶対いる。もう少し具体的に言えば、難関大の場合、100%合格を保証するのはかなり難しい。10回受けて6,7回成功する程度の実力が凡人の限界な気がする(ただしこの説に関しては僕がショボいという意見は重々承知している)。だから、「努力は決して裏切らない!」と言ってる人は失敗した経験がないからそんなことが言えるのである。

頑張ったのに不合格ならそれはもう仕方ないとしか言えない。それもまた貴重な経験なので、涙ながらに這い上がるしかない。

 

◯学歴論争

僕個人の意見としては、学歴はやはりあるに越したことは無いと思う。僕は半年ばかり学習院大学に通っていたが、正直学生のレベルは決して高くはない。実際、数学や英語の授業も高校2年生程度だった。

いわゆる世間的には高学歴とされる大学でも、このレベルである。世の中のほとんどの人は真面目に勉強してないのだから、世間一般的な評価はあまり意味ないと思う。

 

他方、大学受験なんてのは長い人生の中の1イベントに過ぎず、いつまでもそれに固執しているのはバカらしいのも事実である。とある某多浪経験者は「浪数が多いほど頑張った証拠!」とか言ってるが、いやいや…できれば1浪で決めるべきだし、なんなら浪人よりは現役合格である。他にもネット上では20代後半にもなって模試の結果や大学受験の勉強法やらでドヤってる大人は多いが…いつまで過去の栄光にすがっているんだ。と。

 

〇合格する人とは

もちろん、いろいろな受験生がいるわけだが、なんだかんだ言って最後に勝つのは気持ちの強い人だと思った。もちろん、気持ちだけで実力すっからかんの人(現役時の僕)はダメだが…どこの世の中に、試合に負けると思いながら挑戦するアスリートがいるだろうか。

絶対に諦めない、自分はやってやるんだという、やる気の炎が赤々と燃えている気持ちが、不可能を可能に変えていくのだ。

挑戦する人を「どうせ無理でしょ」とか、「それってやる意味ある?」とか、色々否定してくる人は思いの外多い。でも、そんな他人がどう言おうと、自分のことは自分で決めるのが良いと、僕は思う。

 

なんかいまいちスッキリしないが、とりあえず言いたいことは全部書いたつもり。

何か質問などあればコメントしてもらえれば答える。