僕の人生D判定

浪人時代2年間のブログ

浪人時代が、一番楽しかった。

どれぐらい需要があるか分からないが、久しぶりにブログを書く。

はてなブログの編集ページを10か月ぶりに開いた途端、懐かしさがこみ上げてきた。

 

一応初めに簡単に自己紹介。

2021年の3月(高3時。出身は至って普通の自称進学校である。)に東大に落ち、一浪目を駿台横浜校で過ごす。成績はまるで足りなかったが、高校時代の怠惰な生活を改め、コツコツ予備校に通い、それなりに成績を伸ばすも、秋以降ペースが乱れ、結局一浪時は学習院にしか受からない。

散々進路に迷ったが、最初は学習院で2浪目を仮面浪人で挑む。しかし6月ぐらいから大学、受験勉強その他何もかもが嫌になり、実家で引きこもりになる。このままでは人生が崩壊すると思い、秋から再び予備校に通うことを決意。一浪時の反省点によく注意しながら、駿台お茶の水に通う。しかし、二浪しても自分の能力では東大には受からないことを悟り、諦めがつく。10月ごろに志望校を一橋の社会学部に切り替え、なんとか、2023年の3月10日、合格最低点スレスレで合格し、今は一橋の1年生である。

 

 

さて、今日は2月26日。国立大学前期日程の2次試験の2日目の日である。今日を以って長い受験受験勉強から解放された人も多いのでは無いだろうか。

1年前のこの日、今の僕にとっては何も特筆すべきことは無い一橋大学の東2号館で、英語と地理の受験を終え、7割の確率で不合格を確信してよろよろと家路に就いた。暗く曇った、うす寒い感じの日だったと思う。

そして、あの日から本当に1年も経ったのかと思うと、時間の流れは本当に速い。大学に入ってから、時間の流れが急速に速くなったと思うが、それだけ大学生活は充実しているということだろうか。

この1年間、大学に入って僕の生活には光が差し込んだ。あらゆることに対して閉鎖的、否定的、懐疑的であり、常に受験勉強のことだけを考えていた鉛色の生活と比べると、大学はまさしく革命的な感じであった。

色々な人に恵まれ、クラスの友人、部活の同期や先輩など、楽しい仲間がたくさん出来た。浪人時代は人づきあいがほぼゼロだったので、始めは上手く言葉を話すのも苦労したが、そのうち何の問題もなく打ち解けることができて、あれ、自分はこんなにも人間関係をうまくやれるのかと驚いたほどだ。

大学以外でも、趣味の旅行に行き、青春18きっぷで1000㎞も移動したり、自動車教習所に行き、マニュアルミッションにどきどきしたり、色々本を読んで意識高い系を気取ったり、その他、やりたい事をたくさん出来た。最近には、ついに素敵な彼女も出来た。

 

それでも、自分はこの1年間で、浪人生活の日々を思い出さなかった日はただの1日すら無かったと言える。

カレンダーの日付を見るたびに、「ああ、1年前、2年前の今頃はこんな感じだっただろうか…」と思い出していたし、自宅の机の上には今も愛用の駿台テキストがあるし、授業のノートもプリントも全部保存してある。自作の講師の名言集とかもちゃんと置いてあるし、著者の講師のサイン入りの参考書も持っている。

お茶の水や横浜に行って当時のように付近を散歩してみたり、同じ時刻に同じ様に帰路を再現してみたりしたことも幾度とある。大学に一緒に行っている洋服も、靴も、リュックサックも、筆記用具も、ファイルも、全て僕と一緒に浪人時代を乗り越えてきた仲間である。

何より、今日も意味も無く横浜に出かけ、駿台横浜校に行ってみたりした。今日はなかなか暖かく、気持ちの良い日差しが差し込み、春の訪れを感じさせた。

こうしてまた新しい学年が始まるのだ、ということを思うと同時に、浪人時代は、「受験まであと〇日」という締め切りから来ることなのか、はたまた、単に神経が敏感になっていたからなのか、やたら季節の移ろいを感じていた。日没時刻や気温の変化がやたら気になって仕方なかった。平安貴族はこれで和歌を詠んだりしたのだろうか、そういえば久しく古文と言うものにも触れていないな…など、考えればきりがない。

 

思えば、本当に予備校生活は充実していた。

浪人時代に得たことは本当に色々ある。それはもちろん純粋な受験のこと、例えば西岸海洋性気候区のうちアイスランド南部などに現れるCfcは小麦の栽培は不可だとか、連鎖関係代名詞節と二重限定は似て非なる用法だとか、円と直線が接する条件は実数解の重解条件よりも点と直線の距離の公式を使う方が定石だとか、そういう勉強のこともある。

「大学受験の勉強は暗記だけで何も意味をなさない」と言う人もいるが、僕はそうは思わない。僕が予備校で習った勉強はまさしく本物の学問で、駿台予備学校はどの科目、どの講師も小手先のテクニックや暗記に頼らない、本質の勉強を教えてくれる学校だった。今も僕の知を豊かにしてくれていると確信がある。たかが大学受験程度の学問でも、突き詰めればそれなりに得るものはあるはずだ。

特に、自分は一浪した時には学習院大学にしか受からなかったが、それでも受験勉強で学んだことにそれなりの自信はあった。志望校には受からなくとも、間違いなく成績が上がった、という確証はあったし、浪人生活のやり方を悔いたことは有っても、浪人そのものを悔いたことは無かった。

そういう自信があったので、二浪する気持ちも芽生えたのかなと思っている。受かったのは二浪目だけど、一浪時の貯金がなかったら、受かっていなかっただろうし。

 

それから勉強法も色々気づかされることが多かった。

予備校に入って、プロの授業を聞いて感動すると同時に、自分の勉強法は随分と誤っていたなあということを痛感した。巷には所詮、素人の書いた勉強法が大量に転がっているが(まあ、このブログもそうである。)、その多くがウソか間違ってるか、或いは偏った情報である。青チャートや4STEP、何周すれば東大受かりますか?とか、よく陥る罠である。

この辺りは僕としては言い出すときりがないので、この辺にしておくが、まあ強いて一つ言うのなら、独学はやめた方がいいと強く思う。

独学で受かるのはよっぽど自頭のいい天才か、それかその程度の大学かのいずれかである。自分を律して、勉強するのはなかなか難しい。なんだかんだで、ちゃんと先生の言うことを聞いて、ちゃんと予習復習してという、正攻法が一番近道である、というのが僕の意見だし、浪人した人は特にこれに同意してくれる人が多いと信じている。

まあ、この辺りも実際に経験してみて初めて発見できることだと思うので、なかなか難しいと思うが。

ちょっといい記事があったので折角なのでここで紹介しよう。余談だが、この職員さんのうち、女性の人が僕の二浪時のクラス担任だった人である。

駿台予備学校・東大コースのクラス担任が教える東大合格者の勝ちパターン | リセマム

 

話がだいぶ逸れてしまったが、自分は幸運にも「頑張らなくて、その結果、当然不合格(現役時)」「頑張ってみたけど、不合格(一浪時)」「頑張った結果、合格(二浪時)」という、受験生が経験するであろうすべてのパターンを経験することが出来た。

その他、受験生が陥るであろう苦悩や失敗(例えばA判定で落ちるとか、本番焦って大ミスするとか、この辺も挙げればキリがない)も一通り体験して、それから抜け出す経験もたくさん出来た。

 

前も書いたと思うが、頑張っても不合格になること、報われないことはいくらでも有り得ると言うのが、僕の意見だ。「頑張ったら必ず報われる」という人は失敗した体験がないから、そういう無責任なことを言えるのである。

「過去問?やらなくていいよ」「余裕で受かるっしょww」そういうアドバイスをしている大学生バイトや先生もいるが、それで、もし生徒が落ちたら、責任を取れるのか??

甘い言葉には流されない方がいい。

だからと言って、「頑張らなくていい」、「努力することは無駄」、ということは一切ないと思う。最近は楽に生きるとか、手抜きも流行っているようだが、やはり僕は頑張るということには、それなりの意義があると思う。(もちろん、間違った方向に努力するのは意味ないが。)

何より、不合格の経験、挫折の経験は、その人にしか感じられない。頑張ったのに落ちてしまった人、特に数点差で落ちた人など、本当に居たたまれない気持ちだが、それもまた貴重な経験だと思う。涙ながらに這い上がるしかない。

 

とは言え、僕がこんな偉そうなことを言えているのは、それはお前が合格したからだ、と言われれば、それはそれで事実だと思う。

正直、今年の一橋合格も五分五分といった感じだった。二浪時は「今年は結果にこだわらない。悔いなく終わろう。」をモットーに勉強していたが、実際は落ちていたら別の大学に行き、そこで素晴らしい生活があったかもしれないし、ショックで引きこもりになっていたかもしれない。

或いは結局三浪して東大行けてたかもしれないし、三浪して発狂して人殺してたかもしれない。これら全部、十分にあり得たと思う。

しかし、どれが正解でどれが間違っているか、そんなことは分からない。現実の人生は、たった一通りの選択肢しか選べないのだから、正解を選ぶよりも、選んだことを正解にするよう、努力するほかない。

 

一橋大学ともなれば、学生の中には「〇〇大以下はゴミ」「学歴が全て」といった発言をする人も少なくない。僕自身もこう思っていた時期はあるが、今は全然そんなことは思わなくなったし、学歴とかもどうでもよいとも思えるようになった。

確かに日本はそれなりの学歴社会であるのは事実だが、大学入学はあくまで通過点である。受験生時代は東大至上主義でも、私立文系煽りしまくるのも全然ありだと思うし、むしろそれぐらいのモチベーションがあった方がいい。しかし、それをいつまでもやり続けているのはあまりにもカッコ悪い。

駿台の某師の終講の言葉を借りるなら「東大に受かった日が人生で一番輝いていた…なんてことが絶対にないようにね。成長し続けてね。」といったところだろうか。

 

ここまで読むと、なんだかまるで浪人時代が素晴らしく楽しかったような書きぶりだが、一般に、思い出というのは美化されるものである。

よくよく振り返れば、浪人生活は常に苦しかった。毎日予備校に行くのは苦痛でしかなかったし、モチベーションもまるで続かなかった。常にやりたくない気持ちがあった。実際、成績も決して良くはなく、授業中、先生に当てられても、まるで見当違いなことを答えてしまったり、授業の予習をするも、全く分からなくて白紙のノートで授業に参加したこともあった。

模試もまるで全然できず、クラスの成績優秀者の結果が張り出されるたびに、大きな隔たりを感じたし、講師に質問に行ったらレベルが低すぎて呆れられたこともあった。

会話もクラスの人と二言三言進捗状況を交換し合う程度で、プライベートや趣味の話をしたのは皆無だったと思う。本当に常につらかった。

授業のない日も、家ではだらけて1秒も勉強しない日なんてのもザラにあったので、仕方なく自習室に向かうも、自習室には2時間籠ったらもう集中力が切れて、意味も無く外に出て校舎の周りを2周してみたりした。横浜もお茶の水も、あの辺り、通ったことのない道は無いぐらい、息抜きで散歩という名のサボりをしていた。100円で安くコーヒーを売ってる自販機までわざわざ出かけて買って眠気覚ましに飲むも、結局自習室で寝落ちしたりしていた。

自分は本当に受験勉強には向いていないと心から思う、今でも。

それでも閉館時刻まで自習室に残り、夜風に当たりながら帰路に就くのは堪えられない心地よさと達成感があり、予備校から出た時の空気はたまらなく美味かった。出来なかったものが出来るようになった時の嬉しさも大きく、殊に模試の成績が良かった時など、本当に薬物的な達成感があった。

自分は苦手なことにも泥臭く、めげずに立ち向かい、多少カッコ悪くて不器用で恥ずかしくても、頑張ろうと思える気持ちだけはなんとか失わなかった。心折れそうになったことは何度もあるが、完全にはあきらめなかった。

二浪時の最後の方は、もうここまで頑張ったし、やれることは全部やったから、これで落ちたら仕方ない、運が悪かったのだ、と思える心境だった。僕にとっては、その境地に至れたのが、一橋大学という学歴よりもずっと誇りである。

 

15歳の高校1年生の4月から始まる10年間は、間違いなく、人生で一番楽しい10年間である。それを受験勉強だけで潰すのはもったいないと思うので、出来るだけ浪人、特に多浪はしない方がいい。

浪人自体は褒められたものでもなんでもなく、むしろ恥ずべきことである。現役で第一志望の大学に受かるなら、それに越したことは無い。しかし、もしそれが叶わず、浪人することになってしまった時、その1年を努力次第で、結果として、良いものに変えようとする姿勢は最高だ。

思えば、僕の青春は浪人生活にあった。予備校で得たものは、他では絶対に得られない、全てがかけがえのない思い出であり、19歳、20歳を浪人生として過ごしたことに何の悔いもない。

 

また、今年も新たな浪人生が誕生する時期か。そろそろ予備校の説明会も盛況を博して来た頃だろう。

大学全入時代の今日、推薦で進路を決める、或いは、一般受験でも現役進学が当たり前になる中、敢えて再挑戦を選んだ彼ら彼女らに、僕は心からエールを送りたい。駿台現代文科平井隆洋師の言葉を借りるなら、「君たちは『上』を見ることが出来る、魅力あふれる人間だ。」と。

 

最後に一言。

やはり、浪人時代が一番充実していて、思い出深くて、スリルに満ちていて、苦しくて、辛くて、孤独で、そして、一番楽しかった。